尾上松緑、藤間勘右衞門の日記

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2018.10.25 Thursday

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来月は歌舞伎座の吉例顔見世大歌舞伎にて新歌舞伎十八番の内、義太夫・長唄「素襖落」の太郎冠者を演じる

数年前に一度、京都の南座で演じている、我が家にとっては大切な松羽目物の一つ

顔見世興行で「素襖落」を演らせて貰えるなんて、役者冥利、舞踊家冥利に尽きると云う物だ

長唄「棒しばり」や、長唄「太刀盗人」と同様に、身体が動く内はずっと演り続けて行きたい

市川笑也さんとは昨年以来の共演

市川團蔵さん、坂東亀蔵さんとはいつも一緒で気心が知れているし

あざとく爆笑を狙うのではなく、自分でも“楽しく、お茶目で上品に、そして、ちょっとお洒落に”と云うのを目標に一日、一日のテーマを持って、大切に演って行きたいと思う

時に、この「素襖落」と云う演し物

眼目は太郎冠者が踊る「那須与一扇の的」だと思われているが

実際、僕もそう考えていたのだが

前回に教えてくれた團蔵さんに『本当の眼目は「素襖落」の演目の名の通り、素襖を落としてからの大名と鈍太郎とのやり取りを大事にしなきゃいけないんだよ』と、言われた

実際、狂言の「素襖落」には太郎冠者が「那須与一扇の的」を踊る場面は無く、歌舞伎に持って来た時に付け加えられた部分だからね

だから「那須与一扇の的」を大事に踊るのは勿論だけれども、その後の部分も、今度は前回以上に気を抜かず、スタミナ切れする事無く、丁寧にしたい

幸い、今年の七月に神田松之丞さんの那須与一の件りを講談で聞かせて貰ってもいるし

いや、あれは胸がときめいた

ファンとして、あの時の高揚感を取り入れて、松之丞さんに恥ずかしくない那須与一を踊りつつ、そこ以外の部分は歌舞伎の要素として、お客さんに伝わる様に出来たいと云う思い入れで一杯だ

さて、話は変わる

此処からは余談だ

心有る人は読んでくれなくていい

心無い、いつぞや、歌舞伎十八番の内「矢の根」の『茶釜』の時みたく、尾上松緑に兎に角、ひたすら吝嗇付けたいだけの者が読むといい

きっと、今後に無駄口をほざく時の良き勉強になるよ

今回、僕が演じる太郎冠者は近年、歌舞伎では、無義道(モギドウ)と呼ばれる肩衣を着けない衣裳の着方がポピュラーだ

これは、六代目尾上菊五郎さんの方の音羽屋系統の基本

それに対して、曾祖父、七代目松本幸四郎の系統は肩衣を着けて登場する

七代目幸四郎の息子であり、六代目菊五郎さんに師事していた祖父は両方で演っているし、父は無義道、僕も前回は無義道だった

しかし、今回は團蔵さん、僕の衣裳屋さんと相談して、肩衣を着けて登場し、途中で脱ぐ、曾祖父、七世高麗屋系統の演り方にしようと考えている

僕も曾孫である訳だから

不肖の曾孫なのは百も承知だけどね

また、最近はどなたが「素襖落」を出されても、殆どが姫御寮が次郎冠者と連れ舞をする

でも、昔は姫御寮は踊らなかったそうな

何故なら、“姫と呼ばれる程の位の高い御方が下々の者の前で舞う等と云う事は品の無い行為である“と云う理由だったらしい

連れ舞の振りを作ったのは、先代中村芝翫の小父さんと先々代の坂東三津五郎の小父さんと云う話だから、祖父達の代になってから、と云う事

今回は昔に準じて姫御寮の品格を大事にして、踊りは、次郎冠者、三郎吾に任せる事になった

是非とも、笑也さんの格の高さと美貌

そして、坂東巳之助さん、中村種之助さんの溌剌とした切れのいい踊りを堪能して頂きたい

と、こんな事をわざわざ改めて断って書かなくったっていいのかも知れないけれど

また、何処ぞの知ったか振った智者気取りの似非御大達が、いい気になって『何で、あの馬鹿は肩衣着けて出て来やがってるんだ、どうして誰も注意してやらないんだ、「素襖落」知らないのか、この素人が』とか

『何で、姫が踊らないんだ、あの馬鹿、周囲は教えてやらないのか、「素襖落」知らないのか、素人が』とか、いつもの如き謂れの無い因縁付けられても、堪った物ではないからね

知った気になり影から囀って、口から犬の糞放り出しているばかりの輩では知る事の無い『プロにはこう云ったルールも有るのだよ』と云う事を、知識の泉溢れる、尊敬する御目出度いオーディエンスの先生方に、先に少しばかり、優しく御教示差し上げておく


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