歌舞伎役者
四代目尾上松緑
日本舞踊家
六世藤間勘右衞門
己が吐き出す為だけの
取るに足らぬ残日録
無断の転載や
スクリーンショットの盗用等
断じて願い下げる
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昨日、無事に新橋演舞場での十月歌舞伎公演が千穐楽を迎えた
曾祖父、七代目松本幸四郎の名前を冠する興行を大きなトラブルも無く終わらせられた事に安心している
今月は昼夜共に中村梅玉の兄さん、中村芝雀の兄さんと云う二人の先輩と相手役として共演させて貰った
梅玉の兄さんは今までに「三人吉三巴白浪」のお坊吉三や「番町皿屋敷」の青山播磨、「一條大蔵譚」の吉岡鬼次郎幸胤、「増補双級巴」の此下東吉久吉等の役を教えて下さり、長唄「猩々」や常磐津「勢獅子」と云った踊りでも御一緒させて頂いている、本当に尊敬している先輩
芝雀の兄さんとも色々な芝居で組ませて貰い可愛がって頂いている、これまた大好きな兄さんだ
その御二人と舞台の上で対等な役でぶつからせて貰い、まだまだ自分が地力と云うか、スケールと云うか、場数が足りてないなと痛感した
これをいい経験にして、次に御一緒する時には両先輩の足を引っ張らない芝居をして行こうと改めて肝に命じた
話は変わるが明後日にはNHKホールの古典芸能鑑賞会にて新古演劇十種の内「茨木」の渡辺源次綱を日本舞踊花柳流の花柳寿輔家元からお声を掛けて頂き勤める
実はこの「茨木」で寿輔家元が勤められる役、伯母真柴実は茨木童子は去年の日生劇場での曾祖父の名前を冠した歌舞伎公演にて、まさにその寿輔家元に御指導頂き僕も勤めている
そして今回、僕が勤める綱は曾祖父、祖父の当たり役の一つであり、高麗屋の家系に連なる人間が代々大切にしている役
しかも祖父は丁度三十年前の古典芸能鑑賞会で、この綱を尾上梅幸の小父さんの真柴で勤めている
奇遇な巡り逢わせだ
また「茨木」と云う狂言自体が花柳流にとっても、僕が所属する音羽屋にとっても最重要な許し物の一つ
それを古典芸能を代表する催しの中で演じるのだから責任重大だ
真柴も綱も一生、大切に演じて行きたいと思っている
今月の興行で演じていた「国性爺合戦」の和藤内に続いて、曾祖父、祖父が得意にしていた綱を勤められると云うのは本当に嬉しい限りである
もう一つ今月演じていた「曽我綉侠御所染」の星影土右衛門
これはかなり面白い役だったね
遠慮せずに楽しく勤めさせて貰ったよ
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竹川聖さんの「風の大陸」や水野良さんの「ロードス島戦記」、藤川桂介さんの「宇宙皇子」とかはどっぷりとそれぞれの世界観に魅了されて少年時代に読破した
やはり同じく学生の頃に「マヴァール年代記」に心臓を撃ち抜かれて読み始めた田中芳樹さんの作品は「銀河英雄伝説」を読了後、「アルスラーン戦記」と「創竜伝」の途中でリタイア
今はたまに「薬師寺涼子」シリーズを読む
「伊集院大介」シリーズと「グイン・サーガ」のページをめくる指は、栗本薫さんが亡くなってしまった所からまだ止まったまま進めなくなった
未だにその死からは立ち直れていない
栗本さんとは生前何度か飲ませて頂いた事が有る
その時、もう二十年近く前になるか
「貴方は外伝の若かった頃のイシュトヴァーンみたいな気性をしている、だから反骨の貴族や反逆の皇子の様な役を演じなさい」と言われた
イシュトヴァーンと云うのは「グイン・サーガ」に登場するキャラクターだ
しかし、彼自体は超絶美形の設定なので見た目は僕なぞとは提灯と釣鐘程に及びも付かないのは承知の上だし、イシュトヴァーン当人にもまたイシュトヴァーンのファンの人々も至極不快な気分にさせる事は容易に想像は付くのだが、それでも見てくれではなく気性が似ているとの一言は、実は今でも胸の奥からエコーが掛かって耳に響いて来る位に本当に嬉しかった
僕が生涯に貰った数少ない誉め言葉、そう捉えている
僕が「グイン・サーガ」の中で一番に好きなキャラクターはイシュトヴァーンではないし、栗本さんもそれは御存知だったのだけれどね
生きてらしたら現在の僕を見て何と仰っしゃるのだろうか
同じ言葉を言ってくれるだろうか
それとも、また駄目出しが山程かな
励ましてくれた沢山の言葉に今、恥ずかしくなく生きているだろうか
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自宅の近所の或る中高一貫の私立男子進学校
此処の生徒達と云うのが実に行儀が悪い
学校側から「住宅街は通るな」と通達されているにも関わらず無遠慮に入って来る
横並びに道を占拠して迷惑も省みず闊歩する
何処の誰の家の玄関や入り口だろうと遠慮無く座って屯する
カップ麺や食べカス、飲み物の容器、空き袋等を道端や敷地内に平気で捨てて行く
今までにも取り押さえて幾度か学校に指導を申し入れたんだが、一向に改善される気配が無い
先週も僕が仕事から帰って来たら七、八人の生徒が自宅の玄関前に座り、煙草を吹かしながら屯していた
「人の家の前で何をしているのか」とやんわり注意した所、大半は「申し訳無い」と頭を下げる中、僕に凄んで向かって来た子供も幾人か
結局、謝って去ろうとしていた生徒に連れられて帰って行ったけれど、当然また直ぐその学校に連絡を入れた
向こうサイドもおおよそどの生徒かの見当が付いたらしく平謝りだった
次の朝礼で再び強く注意するとの事
これで全てが丸く納まると思う程の能天気ではないけれど、多少の抑止力になってくれればいいと思っていた
しかし、案に相違して禁止された道筋を通る、騒音、ゴミのポイ捨てと、今週もその学校の生徒達のマナー違反、狼藉は止まらなかった
本当に朝礼で厳しく注意したのかね
“勉強が出来ればそれ以外は何をしてもいい”みたいな校風なのか、いつまで経っても本当に行儀が悪い
悪過ぎる
彼等生徒達からするとたった三年、若しくは六年の事なのだろうが、住んでるこちら側からすると一学年卒業しても、また一学年入学して来るまさに負のスパイラル
こんな事が今の土地に住み始めてからずっと続いている
至極、迷惑な話だ

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遺言と云うのは実に大事だ
公式で法的拘束力の有る物ならば尚更
ただでさえ人の死後には醜く俗っぽい争いが起きる確率が極めて高い
起きない可能性の方が低いのだから、それをきっちりと残しておけば自分の死後に余計な揉め事を全てとは言わないまでも、なるべく少なくする事が出来る
幼き時に、別に知る必要無い骨肉の軋轢を目の当たりにした経験を嫌と言う程大いに堪能させて頂いた僕としては遺った人達に同じ轍を踏ませない様に、既に日本の現行の法律に則った遺言書を製作済みである
弁護士の先生や事務所の人立ち会いの下、数年に一度ずつ書き換える事にもしている
また我が家は昔から日蓮宗なのだが、寺に頼んで自分の戒名ももう用意してある
それでもまだ自分の死後が全て安心、と口にしたら過言になるけれども、何もしないよりは遥かにマシだろう
だから、いつ死んでも或る程度の見通しは立っているよ
でも、出来るなら謂れも無く多くの他人に憎まれた今のままの状態で死ぬのだけはちょっと勘弁願いたいかも
そんな事より何より、仲いい人達と酌み交わす酒はまだまだ全然飲み足りてないので、それに飽きるまではもう当分生きる予定
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