歌舞伎役者
四代目尾上松緑
日本舞踊家
六世藤間勘右衞門
己が吐き出す為だけの
取るに足らぬ残日録
無断の転載や
スクリーンショットの盗用等
断じて願い下げる
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昨日は坂東亀寿さん達と池袋の東京芸術劇場に京劇三国志「趙雲と関羽」を観に行って来た
東京芸術劇場に足を運んだのは久し振りだったんだけど、僕の記憶が確かなら前回も京劇の公演を観た筈だ
僕は歌舞伎に限らず色々な演劇を観るのも好きだが、やはり今回の京劇にも圧倒された
あの独特の身体の動きの切れ、バランスの取り方、高音の出し方、化粧、衣裳、音楽
どれを取っても歌舞伎とはまた違う表現方法
凄く興味深いし刺激になる
楽しみながらいい勉強をさせて貰った
これが何か、自分の仕事に生かせるといいんだがね
それから、個人的にはもう一度「三岔口」って演目が観たい
後は「扈家荘」、「盗仙草」にも魅力を感じる
話は変わるが、明けた今日は息子が国立劇場での藤間蘭景先生、蘭黄さん母子の舞踊会、紫紅会にて長唄「鳶奴」を踊るので、それを覗きに行く予定
或る意味、自分が踊るよりも遥かに緊張する
だが、兎に角今は彼には元気一杯、一生懸命、それだけに集中して踊って貰いたい
それ以外は何も望まない
今からあれこれ小難しい理屈を考えてしまうと結果ばかりを意識して芝居も踊りも小手先だけでする様になりスケールが小さくなってしまうからね、僕の様に
彼にはそうではなく明るい役者、舞踊家になって欲しいと心から願っている
最後にこれは余談だが、どうやら僕は今年から公益社団法人日本舞踊協会と云う組織の理事になった様だ
何の役にも立たない僕だが、理事になったからにはそれに恥じぬ仕事はして行きたいと思う
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83
神等と云う物はこの世に鐚一存在しない
また同様に仏もこの世には存在しない
人間は死んでも神にも仏にもならない
前世も来世も生まれ変わりも無い
息絶えた、事切れた瞬間から本質が変化して人間は既に人間でなく、徐々に腐って行く肉の塊に過ぎなくなる
ただ、朽ち果て消滅する
それだけだ
つまりは結局の所、それぞれ己の中にのみ、それぞれ出逢いや別れ、思い出、喜び、悲しみ、怒り、恐怖と云った多岐に渡る人生経験から形成された、各個人それぞれ唯一の定義が神や仏として介在する訳だ
僕はそう解釈している
だから僕は僕の中で僕が発生させ、僕が育て上げた、内なる神や仏に芝居を捧げ、踊りを捧げ、台詞を捧げ、生活を捧げ、己の体内に摂取した酒や食物を供物とする事で、僕だけの神や仏を信奉している
それ等を神や仏と崇めるのか、信念と言うのか、ポリシーと呼ぶのか、または別の言葉で表現するのか、それは各個人の思い入れと語彙に因ってまちまちだろうが、大雑把に語ろうとすればそう云う事だろう
また幽霊や悪霊
こう云った存在を否定するのは簡単だし、僕もどちらかと言えば懐疑的だ
だが、この世には理論や言葉だけでは解明出来ない事象が在るのが事実だし、科学的な解釈だけが全て正解ではないのじゃないか
従ってこれも、目に見えない物を妄信、他人への押し付けをするのではなく、己の内なる存在として畏れ、敬う事は自分を御し律する為にも必要な事、価値有る事と考える
神も仏も幽霊も悪霊も、全ては己から湧き出る内なる思いから故に
これは僕を形作っている信念の根幹の一つでもある
この思いを誰に強制するつもりも無いし、誰が否定する権利も、誰に嘲られる筋合いの話でもない
最後に
悪魔、鬼、化物、怪物
これ等は先に挙げた神、仏、幽霊、悪霊と云った己の内なる存在と違い、誰の目にも見え、誰の耳にも聞こえ、誰でも触れる事が出来、この世に現実に歴として存在する
その存在とは、醜い人間その物の事だ
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先月の話だ
友人と二人で楽しく飲んでいた時に危うく鮨屋の板前達と不穏な空気になった事が有った
六本木の駅近くでやっていると云う鮨屋とその連れの板前達と取り巻きの女達
口に含んだ酒を店中に吹き散らかしたり、土足でソファーに足を掛けたりとやりたい放題にほとほと閉口
「酒場と云うのは飲ませる方にルールが有るのは勿論だが、飲む方にもそれ以上のマナーが有る」と、生前の祖母に言われた事が有る
僕も酒を飲む時にはその言葉を心する様にしている
然るに、それを事も有ろうに客商売で生活をしている者達が他人の迷惑を考えぬ振る舞いをする等、何たる事だ
品性を疑わざるを得ない
最低、最悪と云う言葉すら生温い
江戸前の飲食業の中でも本来、魚屋、蕎麦屋と並んで特に粋であるべき寿司屋の癖に不粋とはどう云う料簡か
粋と肩で風を切る傍若無人さを甚だしく履き違えている
あの手の、大人数になったと云うだけで気が大きくなり、何をしても許されると勘違いしている馬鹿者達が本当に許せない
あんな手の平から指の先、魂まで汚れた者達が握った鮨一貫なりとも僕は絶対に口の中に放り込みたくはない
それ以前にそんな偽物の板前達がカウンターに入ってる鮨屋になんて、足も踏み入れない
あんな名ばかりの輩が「板前で御座居」なんて顔して幅利かせている
料理人の中には地に落ちた下衆の極みも居るのだな
憤りを通り越して悲しい話だ
しかし、僕自身も割と年も食って随分と丸くなったつもりでいたけれど
どうやら沸点の低さは相変わらずらしい
せめて、揉めるのを何とか我慢して踏み留まり、同じ土俵に立たなかった事だけは自分を誉めてやろう
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