これは自慢なのだけれど
歌舞伎界広しと言えども、僕程に奴を年がら年中演じている役者も居ないだろう
「仮名手本忠臣蔵」の寺岡平右衛門は何度も演じて来たし、色奴に至りては今年だけでも二月の「青砥稿花紅彩画」の南郷力丸
六月の「倭仮名在原系図」の奴蘭平実は伴義雄
そして、来月の歌舞伎座での歌舞伎興行の昼の部「鬼一法眼三略巻」の奴智恵内実は吉岡鬼三太
いい加減「ネイネイ」と云う奴独特の台詞廻しが普段の口癖にまでもなりそうな「どんだけ下郎根性なんだ」って勢いだが、色奴の扮装は好きなので、実に気がいい
今まで僕は新聞や雑誌、TV等、どの媒体のインタヴューでも「好きな役、これから演じてみたい役は有るか」と云う質問には大体、口を閉ざして極力、濁して答えない様にして来た
それは何故か
役との縁は自分の地力以外は、タイミングと相性が全てだからだ
幾ら、自分が好きな役、演りたい役であっても、タイミングと相性が合わなければ一生、関わる事が無い場合が有る
逆に言えば、あまり自分の好みではない役、極端な話だと嫌いな役でも縁深ければ何度も演じて行く事になる例しも有る
これを僕は「時期が来れば役の方からこちらに寄って来る」と表現している
つまり「時期が来なければ寄って来ない事も有る」と云う話だ
また、僕の場合、大っぴらに興味の有る役を口にすると、どうしてかそれへの道筋が捻曲がり、近々に他の同輩、後輩が演じる姿を見る羽目になり、辿り着けるべき筈だった物が遠退き、或いは永遠に閉ざされる事も
話を戻そう
来月の智恵内、これは今まで好きな役、演じたい役と云う物を頑なに口にしなかった僕が、是非とも演りたいと子供の頃から願って来た役だ
演りたくて演りたくて、ずっと一人、脳内で演り続けてた役だから今回、初めて演じるに当たって、新たに覚え始める必要は全く無かった
遥か昔、国立劇場での歌舞伎興行、通し狂言「鬼一法眼三略巻」を市村羽左衛門の小父さんの吉岡鬼一法眼、中村雀右衛門の叔父さんの常磐御前、尾上菊五郎の兄さんの奴虎蔵実は源牛若丸と一條大蔵長成、市川左團次の兄さんの八剣勘解由、坂東彦三郎の兄さんの笠原淡海、中村芝雀兄さんの皆鶴姫、市村萬次郎の兄さんの鳴瀬、澤村田之助兄さんのお京、そして父の智恵内と吉岡鬼次郎幸胤と云う奇跡の配役で観て以来、この芝居では智恵内、鬼次郎の二役以外、目に入らなくなっていた
あの時、父のメンタル、体調、共に既に下り坂
いや、絶不調でボロボロだったと言ってもおかしくない、最悪に近い状態ではあったが、あの鮮やかでありながらも何処かに闇と険を匂わせる凄絶な色奴振りを忘れる事は出来ない
劇場の入り口に飾られた「菊畑」に因んだ菊人形まで鮮明に覚えている
来月は秀山祭と云う播磨屋さん系統の興行では有るが、「菊畑」は我が音羽屋系統にとっても所縁有る演し物
改めて菊五郎の兄さんに伺って、父と同様に黒の衣裳ではなく音羽屋型の納戸色の繻子奴で勤める
智恵内は茶目っ気と色気、派手さと軽妙さ、そして智の深さを体内に同居させなければいけない大人の役
余裕の有る男の風情が少しでも自然に滲み出ればいいな
そして、「いつかは父の様に通し狂言で智恵内、鬼次郎の兄弟二人を一人で演じ分ける役者になりたい」と云うのが、実は僕の役者人生に於ける幾つかの目標の中の一つに入っている
また、夜の部では「曽我綉侠御所染」にて星影土右衛門を演じる
これは二度目で、前回の時に左團次の兄さんに教わり、御所五郎蔵役の中村梅玉兄さんと皐月役の芝雀兄さん達に助けて頂きながら演じたのだが、掴み所無く難しい、演れば演る程に面白味が出て来る役であった記憶が有る
初役の時よりも得体の知れない深みを醸し出したいと思う