混雑で時間が読めないから、近いのにいつもよりも一時間半も早く出発しなきゃいけなかった
日曜日だからって、仕事が有る人間が存在する事も考えて欲しい物だな
これだから、東京マラソン、大っ嫌いなんだ
今月は去年から引き続いて歌舞伎座に連続六ヶ月目の出演
二月大歌舞伎にて、昼の部の「新書太閤記」の上島主水と、夜の部の義太夫・長唄「浜松風恋歌」の船頭此兵衛を勤めている
二役共、自分に合っていると思うし、心地良い
また、今月二十一日にはその昼夜の間で国立劇場大劇場にて催される第五十九回日本舞踊協会公演にも出演して清元「浮かれ坊主」を踊る
これも好きな踊りの一つ
今日は舞台稽古をして来た
で、好きな踊りなだけに、その「浮かれ坊主」について一言、申し述べさせて頂く
観た事の有る人は御存知の通り、この願人坊主は褌の上に黒の紗の羽織一枚と云う、素っ裸に近い身体の線が出る格好で踊る
白塗りなので勿論、身体も白く塗る
中には正直に、まさに全身に白粉を塗って踊られる方もいらっしゃるが、僕は褌と羽織に隠れる部分
つまりは、肩から、背中、尻、股間、太腿に掛けての白く短いレオタード的な物を着ている
これを僕等は着肉(キニク)と呼ぶ
文字で書いても想像が難しいと思うが、最近の水泳競技の選手の方達が着ている水着が白い無地で、胸から腹の部分がカットされていて、腕と太腿の部分の生地が短くなった感じ、と表現すれば何となく分かって貰えるだろうか
兎に角、化粧をした後に胸、腹、手、足に白粉を塗ってから、着肉を着て、褌を締め、羽織を羽織る
これを「全身を塗るのが面倒臭いから手抜きしている」と言われた事が有った
甚だ心外である
僕も、過去には全身を塗って踊っていた
だが「浮かれ坊主」と云う踊りは大変に身体を使って汗をかくので、全身に白粉を塗った場合、目の粗い紗と云う生地の特性上、羽織の糸と糸の隙間に汗で落ちた白粉が全部入り込んでしまい、ベタベタに滲み、折角の涼し気な色気が台無しになってしまうのだ
だから、僕の衣裳屋さんと相談して、今はあまり羽織と身体が密着しない、尚且つ、褌と羽織から出る部分はなるべく目立たない様に短くした着肉を着る様にしている
勿論、祖父も父も、そして亡くなった中村富十郎の小父さんも「浮かれ坊主」を踊る時は着肉は着ていたから「先々代、先代の頃から、もう何百年、何十年とずっと見ている」と仰っしゃる“知っている”方々がお持ちの目には有る筈なんだがね
そんな事情をお客さんに一々説明する機会はこれまで無かったし、必要も無いと思っていた
何故なら説明すればする程に野暮になるから
が、正当な理由が有るにも関わらず「手抜きをしている」等と邪推されるのはもういい加減に不本意なので、野暮になるのを断腸の思いで承知して日記に書かせて貰った次第
次に踊る時には御期待に沿える様、お気に入りのオカザえもんみたいな全身タイツでも着てやろうかと只今、思案中
こう云うの、良く有るのだ
先月に演じた新古演劇十種の内「茨木」の渡辺源次綱や、去年の九月に勤めた新歌舞伎十八番の内「紅葉狩」の平維茂、更に昔の従者右源太、従者左源太とかの役では「芝居中に居眠りするな」と、御叱りの投書を受ける
なんて、嘘の様な本当の、深い様で浅い、笑えもしない笑い話も
馬鹿言っちゃいけない
居眠りなんぞする物かよ
大体、この吹けば飛ぶ塵芥に等しき立場で舞台上で居眠りなんかしたら翌月から一切、僕如きに大役は来なくなってしまうのは自明の理
大役どころか、仕事その物が鐚一無くなる
あれは“不覚にも妖気で眠りに落ちてしまう”演技だ
それを、憤慨して御説教下さっても、こちらは片腹の痛みを堪えて苦笑いするしかない
考え方を逆にすれば、本当に眠りに落ちた様に見える僕の演技力が素晴らしいのかも知れんね
或る意味、そこまで僕の芝居に執着、感情移入してくれれば本望とすら言えるよ
また、去年の十月には歌舞伎十八番の内「矢の根」の曽我五郎時致を演ったけれども、この役には「文福茶釜」と云う台詞が有る
僕は「文福茶マガ」と「ガマ」を逆にして「マガ」と言っているのだが、これも「台本を読んでいない」とか「いつになったら間違いに気が付くのか」とか、演じる度に苦言を呈される
他の演者さんがどう演っているかは一々調べていないので分からない
しかし、僕が尾上左近を名乗っていた初役の時、祖父に「これは五郎の前髪の稚気が表現されて子供っぽく、可愛く、そして強くなるから、茶釜と素直に読まずにわざと逆に茶マガと言うのが口伝だよ」と教えられたから、そう言っているのだ
どの歌舞伎に出て来る荒事の五郎も親の仇の名を「祐経」を「祐ッネ」と、「ツ」を「ッ」と「ン」の間の音で表現するのと同じ道理
祖父は、僕が「矢の根」の五郎を初めて演る事が決定してから、実際に演じるまでの僅かの間に亡くなっている
その折に直に伝えてくれた数少ない教えだから、今でもはっきりと覚えている
事実、これまた祖父もそう台詞で喋っているし、亡くなった十二代目市川團十郎の叔父さんにもそう教わった
他にも去年、十二月に演じた常磐津・義太夫「積戀雪関扉」の関守関兵衛実は大伴黒主
「貴方のお父様の大ファンだった、お父様の黒主は素晴らしかったのに貴方のは酷かった、本当に血を引いている息子なのか」なんて云う苦情も来たな
仰せ、御尤も
御言葉の通り、自分でもあの祖父、父の血を引いてるいるのかどうか、首を傾げたくなる程に怪しいし、僕の関兵衛が酷かったと仰っしゃるのなら、その人にそう見えたのだろう
でも、一つだけ不思議なのは「関の扉」に限らず、黒主と名の付いた役を父は生涯通じて一度たりとも演じた事が無い
一体、父の黒主をその人は何処で見て来たのだろうか
羨ましい限りである
その資料が存在するなら、僕も取り寄せて勉強する事が出来るから、それを是非に教えて頂きたい物だ
逆に「新薄雪物語」、幸崎伊賀守の際には「陰腹の設定に気を取られ過ぎて足元が疎かになり、片足だけ草履が脱げずに屋体に上がってしまいヒヤリとしたけど、その後に痛みに我慢して手で草履を脱いで揃えるアドリブの機転で巧く誤魔化したから安心した」とのお誉めを頂いたな
あのね、親身に心配して下さった所を水を差す様な真似をして大変、恐縮なんだが
あれこそまさに“片足だけ草履が脱げずに屋体に上がってしまい、痛みに我慢して手で草履を脱いで揃える”のは“アドリブ”でも“機転”でも何でもなくて、そう云う“型”の“手順”なんだよ
そんな事も全く勉強もせず「新薄雪物語」を騙り、薄っぺらく誉めてくれて、この上も無く有難う
五臓六腑の奥底から吐き出す血と同量の感謝を申し上げる
これ等の金言、至言は今まで、何度も何度も何度も頂き続け、それに対して何度も何度も何度も説明しようと思いながらも黙って来た事の氷山の一角
いい機会だから少々、書かせて頂いた
少しは疑問に答える事が出来たろうか
疑問が晴れたとしても恐らく、残念ながらそれはお望みであった答えとは違ったと思う
歌舞伎にも、それ以外の伝統芸能
いや、伝統芸能でなくとも、外部には漏らさぬ秘密や口伝、約束事が存在する職業は山程有る
そんな諸々の大事の本質部分を知らずに、上っ面だけ舐めて何でもかんでも分かっている気になり悦に入って御高説を宣う、自称“有識者”の人
隣の芝生から見て楽に思い付いたり、簡単に調べられたりで指摘出来る事なんてのは、どの職業に限らず大概、その道のプロならとっくの疾うから心得ているんだよ
曲がりなりにも素人じゃない、誰もがそれで飯を食っているプロ達なんだからね
そんなのは初歩も初歩でしかない
何故、気付かない
不思議でならない
例えば“ガイド本や口コミサイトを見ただけで「此処の寿司は美味いんだよ」と、今まで行った事も無い癖に、偉そうに常連面して入った寿司屋には醤油皿が出ていず、板前さんに小声で「ちょっと板さん、醤油が出てないよ」と、したり顔で助け船を出したつもりが、そこの寿司にはネタに既に仕込みがしてあって醤油無しで食べられる様に味付けしてあった、挙げ句の果てには、そんな愚行を恥とも微塵も感じる事無く、折角の寿司がカピカピに干からびるのを気にもせず、フードポルノをTwitterやInstagramに嬉々としてアップする”みたいな話
知ったか振って重箱の隅を突く様な、しかも的外れな粗探しをしている厚き心と御立派な御教養、御眼力を既に御所持なら、後は奥ゆかしさを身に付けるのも大切なんじゃないかしら
でないと、その内にかいた恥のみっともなさに自分で赤面する時が来る
きっと来る
必ず来るよ
いや、所詮は他人
他人のする事、言う事等、犬の糞みたいな物だからな
自分以外の人間に何かを求める方が間違っていた
他人に期待するのが無駄
今年は何だか、例年以上にお祝いメールやお祝いの手紙、プレゼントを沢山頂くな
もう、そんなに目出度い年でもないんだけどな
流石に少々、照れ臭い
松竹株式会社の演劇制作部や歌舞伎座監事室の人達から「御目出度う」を言われたのも初めてだったし、一門の弟子と弟子見習い、付き人、番頭からも酒のつまみの盛り合わせを貰った
そう言えば去年は楽屋で使う下着セット、一昨年は僕の甘い物嫌いを無理矢理直そうと、マカロンの詰め合わせだったな
他にもファンの人達から色々と届いたりと、嬉しい限り
大概が酒関係だと云う所に疑問が有る気もしないでもないが
中でも一番テンションが上がったのは、僕のホームページやグッズ、そして大体、毎月の役のイラストを書いてくれている女の子からの手作りの小物入れのお盆とフォトスタンド
これは可愛い
真面目な話、このプレゼントでかなり元気を取り戻した
心が支えられる
早速、楽屋に戻って前から使っていたフォトスタンドから祖父と父の写真を取り出して入れ替えて、鏡台に飾ったよ
感謝
今晩は母夫婦が御飯を奢ってくれる予定だったが、サプライズで楽屋にプレゼント持って来た娘と息子の「折角の誕生日なんだから寿司食わせろ」とのリクエストに応えたし、明日は中村松江さんや坂東亀寿さん達、いつも飲んでいるメンバーが祝ってくれるそうな
坂東亀三郎さんも来週に時間を作ってくれる、とさ
そう言えば、亀三郎さんの息子君も今日が誕生日
僕なんかよりも、輝ける未来の有る彼の方が遥かに目出度い、目出度い
来週の土曜日には、また別の友達もモツ鍋でパーティーを開いてくれると言ってるし
こう考えてみると世の中、犬の糞みたいな他人ばかりじゃないんだな
僕みたいながらくたにも温かくしてくれる人達は居るのだ、と云う事を思い出させてくれる
そう云う人達には、心から感謝して素直に言える
「有難う」と、ね
ちなみに明日は、河原崎権十郎兄さんと中村鴈治郎兄さんの誕生日