歌舞伎役者
四代目尾上松緑
日本舞踊家
六世藤間勘右衞門
己が吐き出す為だけの
取るに足らぬ残日録
無断の転載や
スクリーンショットの盗用等
断じて願い下げる
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いや、今月は本当に、脳内の文字の羅列が何度もゲシュタルト崩壊し掛けた一ヶ月だったな
まさに自分の記憶力、精神力との闘いだった
辛うじて、何とか踏み留まれて良かった
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643
鉄人、早いよ
衣笠祥雄さん、謹んで哀悼の意を表する
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昨夜、遅くに連絡が来て、今日は駆け込みで歌舞伎座に、盟友でもある演出家の西森英行さんが観に来てくれるそうだ
或る意味、僕の演劇に於いての家庭教師みたいな人だからな
不出来な生徒なりに、非常に力を貰えるので嬉しい
長い台詞を言い操る上で彼から教えて貰ったのは“心の内に有る葛藤と共に、その台詞が大きくは何を目的にして話しているのか、誰に何を思って欲しいのか、それとも、自分の思いを聞いて欲しいのかを手放さない事”だ
何とか此処まで乗り切って来たが、今月の公演も千穐楽まで残り四日
今日も彼の友人として恥ずかしくない舞台をしなければ
また、今日は父の同級生の友人達も来てくれるとの事
これもまた、心強いな
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「演じる」事を生業としている以上
フィクションにはフィクションの難しさ
ノンフィクションにはノンフィクションの難しさがそれぞれ有る
如何に実在した人物を演じているとは云えども、舞台の上では全てが「史実と一挙手一投足、寸分も違っていない」等との御託宣は、どう考えても現実問題として不可能なのだ
それを言われ出したら“歴史を題材とした土台にフィクションを積み上げて、舞台上で説得力を持たせて表現する”事が多々有る我々の商売は成立しない
殊に、義太夫が入らない、化粧が濃くない、七五調ではない、“リアルに極々近い”演目はそのフィクションの部分とノンフィクションの部分の擦り合わせの繋ぎ目が不自然に思われない様に考える、演じる事が大前提の課題だ
歴史が現代に近く、歌舞伎以外のイメージで世界中、日本中に知れ渡っている人物で有れば、それは尚更である
今月、歌舞伎座の四月大歌舞伎の「西郷と勝」で僕が演じている西郷吉之助も、その最たる人の類いだろう
フィクションとノンフィクションの緩やかな落とし所を探り、さも“舞台の上で生きている”様に命を吹き込む作業に毎日、苦心しながら勤めている
西郷隆盛と云う人物は確かに実在した英雄の一人ではあるが、それぞれ皆さん個人個人の中に西郷隆盛のイメージは強く存在するだろうとひしひしと感じている
であるから、観て下さるお客さんには、それとはまた気を変えて“フィクションの舞台上での西郷吉之助”だと、大らかな気持ちで構えて頂ければ有難いと思う
そして、政治的な部分の理由は僕の知った事ではないけれども、元から真山青果先生の完成された台本が有るにも関わらず、幾ら「史実とは違っている」から、と云う口実が有ったとしても
そこに口を挟んで改悪するのはどうだろうか
真山先生に対する侮辱に当たるのではないだろうか
長台詞の流れの中で、感情の流れを打った切る不自然な文章を追加させられたり、逆に芝居全般のテーマに関わる様な大切な台詞を無理矢理カットさせられている点、今回、非常に迷惑を被っているのは事実だ
一度、引き受けた仕事だから、例え断腸の思いだったとしても
その感情とは別に、来てくれたお客さんに喜んで貰える様、なるべく原作から逸れぬ様、千穐楽までベストを尽くしてきっちりと勤める、が
自分としては、演るならば是非、真山先生の台本通りの「江戸城総攻」をしたかった
また、僕の個人的見解で言えば“徳川慶喜は極めて聡明な名君である”と思っている
そして、「官軍」、「錦の御旗」と云う呼称には実にいいイメージは持てない
まさに「勝てば官軍」と、「権威を奪った者の勝ち」、「強い者の勝ち」と云う権柄ずくな臭いが嫌と言う程に漂って来る言葉だから
話は変わるが今月のもう一役、「裏表先代萩」の倉橋弥十郎は、それとは一転して歌舞伎らしい役
非常に演り易く、余分な気を回さずに役に入って行けている
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